『一対一でも大勢でも人前であがらずに話す技法』を読んだ。【書評】

  • 2019年3月4日
  • 2019年11月4日
  • 読書

こんにちは、Spicaです。

『一対一でも大勢でも人前であがらずに話す技法』という本を読みました。

タイトルからわかるかもしれませんがこの本には、「話すときになぜ緊張するのか?」という疑問に対する一つの答えが書かれています。

著者曰く、答えはたった一つ。

それは、「人に見られていると感じるから」だそうです。

 

一体どういうことなのでしょうか?

 

面接者が緊張し、面接官が緊張しないのは何故か?

 

本書ではまず、面接官と面接者(面接される人)を例に挙げています。

大抵の場合、面接官は緊張しません。一方で面接者は、とてつもなく緊張します。受験や就活で面接を経験した人は、自分の経験から「わかる」と感じるのではないでしょうか。

 

就活生の立場で面接官を見ているといつも圧倒されて、とても向こうが緊張しているとは思えませんよね。

僕は、読み始めたときに「面接官が緊張しない理由? 評価する側だからでしょ?」と思っていましたが、著者曰く、そうではない。。

「見る側」「見られる側」この意識の違いが、話すときの緊張を呼び起こしているそうです。

 

授業参観で先生が緊張するのも、「見られている」ため。

「そうかなぁ?」とはじめ僕は思っていましたが、授業参観の例を紹介された時、「なるほど」と納得できました。

普段当たり前のように授業をこなしている先生でも、授業参観になると凄く緊張するらしい。

いつもの授業だと、先生は生徒をよく「見て」いる。もちろん生徒から見られているけど、一方で先生も生徒をよく見ているので、緊張しない。

 

「見る意識」を持っているということですね。

 

ただ授業参観になると、先生は保護者からジッと見られています。そして、先生は保護者の方を凝視しながら授業するわけにはいかない。

授業をするのは生徒のためなので、生徒ではなく保護者に目を向けて授業するわけにはいきませんからね。このことから、授業参観時の先生は「見られているという意識」に強く持ってしてしまうわけです。

 

すると、物凄く緊張する。

 

 

面接官が緊張する状況とは

 

著者はもう一つ、面白い例を出しています。

普通なら緊張しない面接官の横に、面接官よりも偉い人(役員・重役)がやって来て、一緒に面接をすることになりました。すると、面接官は急に緊張し始めます。

 

何故か?

これも授業参観の例と同じで、「見られているという意識」に面接官が囚われてしまったことになります。

偉い人はあくまでも面接者を見に来たのであって、面接官の評価・査定をしに来たわけではないはずです(ほんの少しはあるかもしれませんが)。

それでも面接官は偉い人が横にいるだけで、「見られてる、見られてるよ……」と感じて緊張してしまうのです。

面接者と接するのが自分一人だけだったら、全く緊張しなかったはずです。

 

自分の経験をもとに考えてみる

大学3年の時、ゼミ選考の面接官を務めたことがありました。

面接の進行は僕が担当するのですが、室内には他のゼミメンバーも5.6人ほど同席して、時折質問しつつ、面接の様子を見守っていました。

 

僕一人だけなら全く緊張しない自信があったのですが、ゼミメンバーと担当教授が同じ部屋にいるので物凄く緊張しました。はじめの挨拶でも何回か噛んでしまったくらいです。

 

面接官として面接者(つまり大学2年)をしっかり見ていさえすれば良かったのに、僕の中では他の人から「見られている」という意識ばかりが強くなってしまったように思えます。

 

まさに、著者の主張の通りだと感じます。

そして自分が就活生として面接を受けに行った時も、ずっと「見られている」という意識を強く持っていました。

見られるのが怖いあまり視線をずらしたりするともうおしまいですね。ますます視線が怖くなって、面接官からの評価も低くなる。

 

街を歩いてるときにも見られていると不安を感じる。

休日に道を歩いているときであっても、人とすれ違う際にちょっと緊張したりします。

緊張を感じるのも、「あの人はこっちを見ているんじゃないか…」という不安があるからだと思う。

 

恐らく、逆にこっちがその人を「観察」していれば、不安には感じないのでしょうね。凝視まで行くと変質者扱いされそうだから、程度には注意しないといけないけれど。

この、「街で見られている不安」と、「人前で話すときの不安」は、全く違うもののように見えて根っこでは同じなんじゃないかと思います。

 

大学の大講義室で人が超たくさんいるときに、何だか落ち着かない…というのも、同じかもしれない。

不特定多数の人から視線を向けられていると変に意識しまくって、勝手に緊張してしまうんですよね。

 

親友・家族と一緒にいるときはあがり症なんて気にならない

思い返してみると、親友と一緒に街を歩いているときは僕は不安を感じません。

親友との話に夢中で、「見られていて不安だな」と感じることがなかったからでしょうか。

 

お店で注文をする時も、一人で行くと緊張するのに、誰かと一緒に行くとラクに注文できている。何故か全く緊張しない。友達と一緒に店に入ることで、「見られている意識」が薄らいでいるのかな?

 

親友からは頻繁に視線を向けられることと思いますが、親友であれば全く緊張しません。あるいは、家族が相手でも全く怖くない。家族に視線を向けられていたって、へっちゃらですよね。

 

このことから、「見られているという不安」は、そんなに親しくない間柄の人に対して感じるものと言えそうです。

 

こっちからどんどん見ていく勇気を持てばいいのかも。

この本を読んでから僕は、人を意識して「見ていく」ことを試し始めました。

本の中にもあったのですが、「見られていて不安ならこっちから見ていけばいい」ということです。

 

早速電車の中で試してみたところ、いつもより不安の度合いが和らいだ気がします。これなら、人前で話すときのあがり症もゆっくりと克服できるかもしれない…と思えた。

勇気をくれる本でした。ぜひ一読あれ。

 

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